大阪3区に新しい風を! 
中条栄太郎は再び挑戦します!

大阪3区に新しい風を! 
中条栄太郎は再び挑戦します!

大阪3区 (住之江区、住吉区、西成区、大正区)

2021年8月26日、13時より大阪府庁にて、第49回衆議院議員総選挙に無所属での出馬会見を行ないます
私の思いや政策を、お伝えしていければと思っています。
You Tube にて動画も公開してゆきますので、そちらも、是非、御覧になってください。

NEWS

2021.10.18
いよいよ明日衆議院選挙がスタート! 4年経ちました。二度目の挑戦です! 選挙カーも納車され、ポスター、ビラも届き、ポスター貼りの協力もお願いできて、一応準備は整いました。 協力を快く引き受けてくださった方々に感謝いたします。 本当にありがとう。 これから12日間で自分のなすべき事は、心を込めて演説することのみ! 私の志が皆様に届きますように!
2021.08.24
8月26日13時より、大阪府庁にて、関西テレビさん幹事のもと、衆議院議員総選挙の出馬会見を行なわせていただきます。 地元の皆さんは僕が街頭演説している姿を御覧になっている方も多いので、既にご存じかもしれませんが、正式に出馬表明の機会をいただけて嬉しく思います。 この様子はyoutubeで後日公開したいと思います。 どうぞよろしくお願い致します!
2019.04.30
平成最後の日。 天皇皇后両陛下には感謝の気持ちで一杯です。 ありがとうございました。 令和元年!皆様にとって素晴らしい時代となりますように!

前回の衆院選、闘いの記録。

2017年衆議院総選挙において、政治家としての志に詳しく書いたとおり、僕は義憤に駆られて立ち上がることを決意しました。
しかし、どのように準備したら良いのかが全く分かりません。
ネットで選挙の事を色々まずは検索してみました。
選挙カーが必要だ。
事務所も要る。
ボランティアもお願いせねばならない。
時間が本当に限られていました。しかも、なんとボランティアの依頼が事前運動に当たる恐れがあると教えられ、誰にも頼めませんでした。選挙カーも何処も売り切れ。紹介で何とか他の候補者が受け取り拒否したポンコツを東京から陸送してもらいました。
車の上に照明がないため、日が落ちると演説しても顔が見えないのです・・・。
印刷屋さんも選挙に不慣れで、ポスターなんか僕のだけ他の候補者のより一回り小さいし・・・。
ホント色々ハンデを負った上での闘いでした。
そんな中でも、弟が選挙戦を通じて全面協力してくれたことや、親友が駆けつけてくれたこと。ご近所や親戚が手伝ってくれたこと、拳法部の学生がボランティアを引き受けてくれたこと。NHKの取材を受け全国放送で注目選挙区の一つとして第一声をニュース9で全国放送していただけたこと。YOUTUBEのジャーナリストに注目してもらってライブ配信や動画を流してもらえたこと。などなど、沢山の支援もいただくこどができ、16,231票を獲得できました。
昔の恩師から激励を受けたり、小学校時代の友人が協力してくれたり、個人演説会に来場された男性が、その場で毛筆で垂れ幕を書いてくださったり、選挙にはドラマがありました。
意外と小学生達には人気がありました。街宣車に手を振ってくれたり、ポスターを貼り付けていると集まってくれたりと。子供は強面が好きなのかな?
嫌がらせも多々ありました。ポスターを破いたり落書きしたり。難波高島屋前で演説していると、共産党員が選挙カーの前にプラカードを掲げながらやって来て何時間も後の志位委員長の告知をメガホンでやり出したりと・・・。ルール無用のケンカみたいやなあ~とびっくりしました。
自分で運転することも多く、過労で街路樹の飛び出た枝に選挙カーの看板がぶつかり、住吉警察に報告に行った帰り、多くの警察官が見送ってくださる中で、警察署の壁に車体を擦るというミスもやってしまいました。
疲れているなあ~!と実感した記憶があります。
目の前で事故る選挙カーを見てお巡りさん達も心配してくださいました。
「ちゃんと寝てくださいよ!お疲れですよ!」と声をかけてくださいました。
全力で駆け抜けた初めての選挙戦だったなあ・・・。
ご支援くださった皆様、改めてこの場でお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
得票総数16,231票。得票率10.5%。無所属の新人では全国2位でした。
供託金が返還されたのも全国で二人だけ。
皆さんのおかげです!
今回は右も左も分からず、準備も出来ず、いきなりの選挙戦でしたが、次回は悔いなく準備してチャレンジしたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します!
演説中に告知をメガホンでやりだした。
ポスターが一回り他の候補者より小さいものに・・・。
照明がないので、日が落ちると明るいところでしか演説できない
後ろの垂れ幕は、来場された方が、その場でボランティアで書いてくださいました。

2017年12月から始まった母の介護で学べたこと。

衆院選が終わり、色々な申請手続きを無事終えて、政治活動を再開使用と思った矢先の2017年12月、母の末期癌・余命宣告がありました。
検査・診察の後、僕だけ部屋に呼ばれ、ホスピスへの手続きを勧められました。
まだ自分で歩けるし、ご飯も食べれる母を終末期緩和病棟に残して帰ることなど出来ず、自宅に連れ帰って看取り介護を行う覚悟を決めました。
余命2ヶ月。桜はとても無理・・・。せめて2月10日の78歳の母の誕生日を一緒に笑顔で過ごせたらなあ~と考えていました。
腹水が溜まり、脚がパンパンにむくみ、着替えのお手伝いが始まりました。
減塩料理を三食手作りで、便をこぼすようにもなり床の掃除も・・・。
タオルやハンカチでお尻を拭くようになり、それを洗濯かごにグイと押し込むようになったり、と下のお世話が始まりました。
物取られ妄想や幻覚も始まり、幻覚は本当にリアルに見えるようで、母は怯えて不安そうでした。
朝6時から夜寝付くまで、一日中母に寄り添う生活が始まりました。
母の免疫が頑張ってくれて、3月には車いすでのお花見に連れて行ってあげることが出来ました!とても素敵な笑顔でした。奈良県の佐保川の桜祭りです。とっても綺麗でした!
幸いなことに、6月くらいから病状も落ち着いたので、デイサービスの時間に介護初任者研修を受講することにしました。看取り介護の為に知識が必要だと感じたからです。
研修は本当に良かった。介護の現場のお話を聞けたり、認知症について正確に学べたり、おむつ交換のノウハウも身につけることが出来たし、何より介護の奥深さや大切さを知ることができました。
ただ、介護の現場では報酬の低さ故、程度の低い職員も居る。人が集まらずスタッフ個人の負担が増え現場は疲弊している。
一緒に研修を受けた方の中にも、研修の時はお年寄りのために働くことを夢見ていたはずなのに、卒業後、報酬の低さ故に別の業界へ行った方も居ました。
介護の現場で働く人々は、正当な評価もされていないし、適正な待遇もなされていない。
ここを政治家が何とかせねば!幸せな老後を私たちが将来安心して送ることなど不可能です。
7月になり、母の病状が落ち着き、安定するようになりました。
汗びっしょりでベランダで下汚れの下洗いをして、クーラーの効いている部屋に戻ると、「そんな汗かいて、何してるの・・・?」といつも母が驚いて聞いてくる。
「お母さんの洗濯やんか。」
「洗濯なんか洗濯機に放り込んだらいいのに、お母さんがしてあげよか?」
「・・・。下汚れをまず落としてからでないとね。」
「ええ、息子にそんなことさせてたの?」
「大丈夫!ちゃちゃとやってしもうたから。大丈夫!」
この毎日の繰り返し。
ある日、「お母さんが、手伝ってあげよか?」とぽつりと。
その日から二人でゴム手袋を装着して、風呂場で一緒に下洗いをするようになりました。
すると、あんなにも嫌がって拒否していたオムツを、「母さん、履いてあげてもいいで。」と履いてくれるようになったのです。
床に便がこぼれなくなって、下汚れも減り、劇的に楽になりました。
それからは、料理では野菜を切ってもらったり、掃除ではクイックルワイパーで床を、買い物も一緒に出かけて野菜を選んでもらったり・支払いを自分でしてもらったり、洗濯では干す時にハンガーに洗濯物をセットしてもらいそれを僕が物干し竿にかけてゆく、僕が取り込み母がたたむ。食後の洗い物は母が洗って僕が拭くなどなど、何でも一緒に家事をするようにしました。
ドラマに興味の無くなった(ストーリーを途中で追いかけられなくなるためのようです)ので、懐メロ番組を一緒に見てはその歌手や曲についての思い出などを話してもらったりする。
などテレビも一緒に見るようにしました。
頑張った甲斐もあり、ドクターから8月にはショートステイの許可もおり、一泊二日利用が始まり僕の自由時間が9ヶ月ぶりに出来ました。
ショートステイでも色々あり、二度転倒事故が起こり、二度目は後頭部を打ち深夜に呼び出されました。真夜中2時に母の手を握り寝付くまで寄り添いました。
後遺症が出ないか心配でしたが、大丈夫で良かった。
今年2月には、数え80歳。傘寿のお祝い会を出来ました。
余命宣告されて一年以上、こんなにも元気な状態で一緒に過ごせたことに感謝です。
認知症も徐々に進行し、時々子供になってワガママを言って困らせるけれど、一緒に買い物に行けば、近所の方々にお声をかけてもらい、楽しそうにおしゃべりしています。
皆さんに愛されて母さん幸せ者やな~といつも思います。
悩んだ時いつも相談に伺った久堀先生。いつも寄り添ってくださるケアマネさん。手助けに来てくださるヘルパーさん。デイサービスの皆さん。ショートステイでお世話になった老健やホームの皆さん。主治医の依田先生。我が親友の金城医師。沢山の皆さんの支えがあって僕と母の二人三脚は続けてこれました。
選挙期間は近所のホームにお世話になっています。時々帰りたい!とスタッフさんを困らせているみたいで、SOSの電話が掛かってきます。駆けつけると、興奮した駄々っ子のようなふくれっ面、しばらく話すと落ち着きを取り戻し、「仕事がんばりなさい。ちゃんと寝なあかんよ。ご飯もバランス良く食べなあかんで。風邪引かないように!」と母親の顔に戻ってくれます。子供返りも増えたけれど、まだまだ僕のお母さんで居てくれています。
母の最後の時間、きっとあと少し、出来るだけ寄り添い、穏やかに過ごしてもらいたいです。

佐保川にて車いすでのお花見。
母の在宅介護のため介護初任者研修を受講しました。
老健のアロンティアクラブで深夜に転倒。呼ばれて2時に駆けつけました
傘寿のお祝い会。母は嬉しそうでした。